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東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ3

芦雁図屏風 前回に続き、2階展示の後半をご紹介。
鎧兜のコーナーをだーっと流して、お次は屏風の部屋。
東博の本館は回廊式の造りになっていて、屏風の間はちょうど国宝室と対角の位置にある小さな部屋。そこに展示されている大きな屏風絵を、部屋の真ん中の椅子に座ってぼーっと眺めるのが毎回楽しみなのである。

芦雁図屏風/右隻芦雁図屏風/左隻

今回は「芦雁図屏風」という、六曲一双の屏風がとても素敵だった。
江戸時代前期のもので、作者は不詳なのだそうだ。あまり流派に詳しくないんだけど、これは何派の画風なんだろう。江戸時代のものだというのに、こんな大作の作者がわからないなんてこともあるんだな。

なにしろ構図が素晴らしい。飛来する雁と地に遊ぶ雁が右隻左隻で対になるように描かれている。雁の描写はパターン化されているのに不思議と愛らしさを感じさせるのも、配置の妙なのかも。
こうして写真に撮って切り取ってみると、それぞれの箇所が独立した絵としてもじゅうぶん成り立っていることがよくわかるでしょう?

芦雁図屏風芦雁図屏風 芦雁図屏風芦雁図屏風


屏風の部屋に続くのは、近世の漆器や陶器、着物などが並ぶ暮らしの調度のコーナー。漆器のコーナーは1階にあるんだけど、今回はここにも素敵な高台寺蒔絵が展示されていました。
左が「葡萄栗鼠蒔絵食籠」右が「菊蒔絵座屏」。ちょっと光量足りなかったけど、どちらも別の角度からも撮ってみたら、「菊蒔絵座屏」の裏面がカッコよかった!

葡萄栗鼠蒔絵食籠 葡萄栗鼠蒔絵食籠 側面から 菊蒔絵座屏 菊蒔絵座屏 裏面 裏面から
色絵菊水紋蓋物染付蘆雁図皿
焼き物で好きだったのは上の2点。左は伊万里・柿右衛門様式の「色絵菊水紋蓋物」。形といい、絵付けといい、とても繊細で素敵だった。西洋向けに作られたものなのかな?
右も同じ伊万里の古染付で「染付芦雁図皿」。やっぱりこの余白の空気感は日本独特のものだなあ。さっき見た屏風と同じ、飛来する雁と迎える雁の染付バージョン。東博の常設展示は、さりげなくこうした関連づけをするのがニクイ。なにげない皿だけど、すごく欲しくなりましたw


続く安土桃山~江戸時代の書画も毎回楽しみにしているコーナー。
下の掛軸はどちらも曾我蕭白の墨絵。左が「葡萄栗鼠図」で右が「牽牛花」。
葡萄栗鼠図/曾我蕭白 蕭白っていうと、変態チックなまでに密度の濃いちょっとグロの入った劇画っぽい絵という印象(どういう…)なんだけど、この掛軸はそんなイメージとはまるで違う、ほんとにこれ蕭白なの?と思わせるほどさらさらっと描かれた余白の美しい水墨画。
「牽牛花」ってのはなんだろうと思ったら、七夕の時期に咲くから、ということで朝顔の意。中国でそう呼ばれているらしい。でも真ん中にあるのは輪切りにした筍?いや、鉢なのか。ティーバッグみたいのは蔓を絡ませるもの?
牽牛花/曾我蕭白
その他好きだったものいくつか。下の画像の左の三幅ワンセットの掛軸は、長谷川雪旦という江戸末期の町絵師が描いた「月に秋草図」。中秋の名月を真ん中にして、右にそれ以前に収穫される麦と大豆を、左にそれ以降に収穫される稗・稲・粟を描いたものだそうだ。取り立ててすごいってわけじゃないけど、なんかいいかんじでした。
右はまたしても作者不詳の「秋草白菊図屏風」。六曲一隻の屏風絵で、江戸時代前期のものだとか。かなり渋くて好みだったんだけど、ちゃんと撮れた写真がこれしかなくてすみません。。
月に秋草図/長谷川雪旦秋草白菊図屏風
左の画像は、明珍清春という人の「自在鷹置物」。鉄、銅、銀などの素材で体の各部分が動くように作ってある自在は、天下太平となった江戸時代に甲冑師が生計を立てるために作り始めたものだという。いまでいうリボルテック・フィギュア?w
しかし、これは鳩みたいだよなー。
自在鷹置物/明珍清春
能面対面 次の部屋は、能と歌舞伎のコーナー。恥ずかしながら、能や歌舞伎の知識に乏しくて、個々の展示をあんまりちゃんと見たことがない。画像は、女の面が若い順に並べて展示してあった所。見入っているのがみな女性だったのが面白かった。てか、能面に見られているようでもあり。

最後は江戸時代の浮世絵や根付、衣装などを展示している部屋。
今回は僕が好きな所では鈴木春信や渓斎英泉などが出ていて、写真も撮ったんだけどみんなブレブレで掲載できまへんでした。あしからず~。なんせこの部屋は、なぜか他の部屋にもまして暗いのですよ。そんな中かろうじて判別可能なものをいくつかご紹介。
まずは、亜欧堂田善という人による銅版画で「スサキヘンテン」。浮世絵が並ぶ中にあって、かなり異質な感じだった。
タイトルは「洲崎弁天」のことで、洲崎は今の東陽町のあたりとか。江戸初期に埋め立てられたこの土地は、なんでも18世紀末に大津波があったそうで、水にまつわる弁天様を祀ったそうな。まん中に描かれているのは災害の惨状を記録した波除碑(なみよけのひ)のようです。しかし、中世ヨーロッパみたいな版画だよなーw スサキヘンテン/亜欧堂田善
月下砧打美人図/森玉僊 左の肉筆画の掛軸は森玉僊による「月下砧打美人図」。一階にも川合玉堂の「月下擣衣」っていう砧打ちの絵が出ていたし、この季節の風物詩だったんだろうなあ。
森玉僊は幕末に生きた尾張の浮世絵師で、喜多川歌麿と葛飾北斎の門下であった牧墨僊に師事したんだとか。そういえばどことなく北斎っぽいかも?
この絵の隣には、北斎の娘の応為による同名の肉筆画がありました。

下の画像は、歌川国芳筆「人かたまつて人になる」と「荷宝蔵壁のむだ書(黄腰壁)」。
美人画や役者絵を禁止した天保の改革下に、国芳は何度も奉行所に呼び出しを食らったそうだ。モダンな絵描きである以上に江戸っ子気質を持つ国芳のこと。猫を抱きかかえつつ「へい、あっしはただ壁を描いただけで」などとうそぶくさまが目に浮かぶw
人かたまつて人になる/歌川国芳荷宝蔵壁のむだ書(黄腰壁)/歌川国芳


というわけで、3回に渡った東博の無料観覧日の平常展の紹介はこれでおわり。
閉館のアナウンスと共に外へ出たら、ライトアップされた本館がキレイでした。
しかし、何度来ても平常展だけでおなかいっぱいになっちゃうよなー。


東博本館ライトアップ

関連text:
 東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ1
 東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ2
 東博常設展観覧の巻
 東京国立博物館 「博物図譜-写生とそのかたち-」後期展示
 東京国立博物館 「特集陳列 旅と街道」&特別展「仏像」
 東京国立博物館 「光彩時空」& 法隆寺館、本館常設展 

関連外部リンク:
 東京国立博物館 公式サイト

東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ2

中央ロビーからシンメトリーになっている階段を昇って2階へ。
国内の数々の洋館建築を手がけたジョサイア・コンドルの設計で1882年に開館した旧本館は関東大震災で崩落、現在の本館は渡辺仁によって設計され1938年にオープンしたそうだ。
鉄筋コンクリート建築に純和風の瓦屋根を乗せたこのタイプの建築を帝冠様式(→wikipedia)と呼ぶらしい。内装は洋風で階段の手すりや照明、明り取りのステンドグラスなどはおそらくオープン当時のままなのだろうか。

東博中央階段
さて、ジャンル別展示の1階に対して2階は時代順の展示。でも今回は縄文式土器から始まる順路の横の部屋で「中国書画精華」という企画展示をやっていたので、まずはそちらから。本来展示が行われるべき東洋館は現在改装中で休館しているので、代わりに本館でやってくれているようです。偉いっ!

二祖調心図/伝石格二祖調心図/伝石格
…って、またしてもピンボケですみません。。
上の2つでセットの水墨画は「二祖調心図」。描いたのは五代十国後蜀時代(10世紀)の石格という人。「二祖」だからふたりなのかなーと思いきや、本来「二祖」とは禅宗の祖達磨大師を次いだ二番目の祖、慧可大師という人を指すらしく、じゃあなんで二人もいるんだってことになるじゃんか。
調べてみたらこの絵は、気持ち悪い絵で有名な寒山拾得の師匠で虎を使役するといわれた唐の禅僧豊干と、日本では七福神の神様になっちゃってる、同じく唐代の禅僧である布袋を描いたものなのだとか。でもそうなると今度は、豊干の虎に対して布袋を表すべき袋はどこにあるんだろ??
と、実はいろいろ謎の多いこの絵、元々画巻だったひとつながりの絵を裁断して掛軸にしたときに袋の部分を切っちゃったんだとか、伝石格となってるけどほんとは後代の画家による模写だからてきとーなんだとか、諸説あるようです。
ちなみに「調心」とは座禅の三要素(調身・調息・調心)のひとつなんだけど、座禅っていうよりこれは明らかに寝ていませんかっ?

梅花双雀図/伝馬麟 「梅花双雀図」/伝馬麟
南宋時代(12~13世紀)の馬麟という宮廷画家が描いたと伝えられる絵。でも落款がないので確かなところはわからないとか。足利将軍家に代々伝わったものなのだそうな。
これもちょっと不思議な絵で、双雀とは言うものの、右の雀は描きかけなのかこれでいいのかなんなのか。梅の枝もちょっと変な感じだし。
猿図/伝毛松 「猿図」/伝毛松
この絵にも謎があって、まず描かれている猿は中国の猿ではなくて日本猿なのだという。作者を毛松とする言い出しっぺは狩野探幽らしいんだけど、根拠はあまりないそうだ。ただ、南宋時代に描かれた中国絵画だっていうのは確かなのかな?
あまりそうした時代や流派に詳しくない僕は猿ということで安直に森狙仙(→wikipedia)などを思い出しつつ見ていました。なにしろリアルでねー。

今いろいろ調べていたら、この「猿図」に関する面白い逸話を見つけた。
「この繪をみて即座に「日本猿ですね」と言う人がいた。動物学者があっざり追認した。大陸に日本猿は棲んでいない。宋の毛松(もうしよう)には描けまい。繪の権威たちは困った。鳩首(きゆうしゆ)協議の結果、毛松の高名を伝え聞き、日本猿を宋の国へはるばる送って描いてもらった繪だと「決め」た。依然、博物館では「重要文化財 猿図 伝毛松筆 十二世紀 南宋時代」の作品として陳列してあるが、その人は、納得したかどうか。」
「その人」とは明仁親王(現今上天皇。当時は皇太子)だったのだそうだが、それはともかくとしてこの話を素直に受け取るならば、「猿図」はやはり日本の画家によって描かれたんじゃないの?なんて思いたくもなる。実際はどうだったのかを細かく検証し、さらに日本に置ける「猿」の文化的考察にまでいたる「猿の遠景--伝毛松「猿図」のことから」というエッセイがなかなか面白かった。折しも源平合戦の世情不安な頃に南宋に猿を送り絵を描かせるような物好きがいたのか?それとも当時の日本にこんなリアルな猿を描く画家が存在しえたのか?興味のある方はぜひご一読をおすすめします。
いずれにせよリアリズムに満ちた「猿図」は、この時代においてかなり異様だったのは間違いないみたい。だからこの絵を見て、中国の水墨画家牧谿を模して「待徴的なまるい童顔、手のながい身軽な樹上の猿猴」を描いた雪舟や等伯なんかよりももっとずーっと後の幕末の絵師、森狙仙を思い浮かべてしまったというのも、あながち的外れではなかったみたいw

と、今回紹介した絵はすべて10/12までの前期展示。後期(10/14~11/8)にはあのきもちわるーい寒山拾得などが出るそうなので、それも楽しみだ!
これを機にもう少し中国絵画にも明るくなりたいなあ。


結局いつもの通り順路の縄文・弥生・古墳の部屋は通らずに、中国書画の部屋からそのまま飛鳥・奈良部屋をつるっと抜けて国宝室へ。
国宝が一点だけ展示されるこの部屋は、だいたいひと月ちょっとのペースで展示替えをしている。今出ているのは「地獄草紙」。
地獄草紙地獄草紙
この絵巻、短くて全部広げても2.5メートルぐらいしかない。文章と絵の組み合わせによって髪火流地獄、火末虫地獄、雲火霧地獄、雨炎火石地獄の4つの地獄が紹介されている。画像は雲火霧地獄(左)と髪火流地獄(右)。これらは八大地獄のひとつ、叫喚地獄の中にある十六小地獄(→wikipedia)の一部で、元々の絵巻にはもっとあったらしいんだけど現存するのはこれだけなんだとか。

リンク先のwikipediaによれば、雲火霧地獄は「火雲霧処」と表記されていて「他人に酒を飲ませて酔わせ、物笑いにした者たちが落ちる。地面から100mの高さまで吹き上がる炎の熱風で舞い上げられ、空中で回転し、縄のようにねじれ、ついには消滅してしまう」地獄であるとしている。
髪火流地獄は「五戒を守っている人に酒を与えて戒を破らせた者が落ちる。熱鉄の犬が罪人の足に噛み付き、鉄のくちばしを持った鷲が頭蓋骨に穴を開けて脳髄を飲み、狐たちが内臓を食い尽くす」地獄。
火末虫地獄は「水で薄めた酒を売って大儲けした者たちが落ちる。地・水・火・風の四大元素から来る四百四病の全てが存在し、しかもそれぞれが、地上の人間を死滅させる威力を持つ。また、罪人の身体から無数の虫が湧き出し肉や骨を食い破る」地獄。
雨炎火石地獄は「旅人に酒を飲ませ酔わせて財産を奪った者、象に酒を飲ませて暴れさせ、多くの人々を殺した者などが落ちる。赤く焼けて炎を発する石の雨が罪人たちを撃ち殺す。また、溶けた銅とハンダと血が混ざった河が流れており、罪人たちを押し流しながら焼く。全身から炎を発して燃え盛る巨大象がいて罪人を押しつぶす」地獄。
これらの小地獄を総括する叫喚地獄は、酒に関する部署のようである。それにしても設定がいちいち細かい!

地獄草紙が描かれたのは平安末期。上の「猿図」とも重なるこの時代、飢饉にはなるわ疫病は流行るわ大地震はくるわ、貴族から政権奪うべく武士やら僧兵やらは白虎するわと世の中はもう荒れ放題。さらに仏教においては、西暦にして1052年がちょうど釈迦入滅から1500年にあたるとしていて、以後は教えが形骸化して誰にも理解できなくなる「末法」の時代になるんだとか。なんでも「世も末だ」という言葉はこの末法思想から生まれたそうで、ほんとになにからなにまでお先真っ暗な時代。
また、仏教の教義の中には「六道輪廻」というのがあって、悟っていない普通の人はみな天界、人界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界を四苦八苦しながら輪廻し続けるのだという。仏門に入り修行を積んで悟りを開けばこの輪廻から解脱できるとするのだが、残念ながら末法の時代に至ってはもはや娑婆で悟りを得ることはできないらしい。じゃあどうすればいいんだ!ということで急激に広まったのが浄土信仰。修行せずとも悟りを得なくてもなにしろただひたすらに阿弥陀如来を信じてさえいれば、輪廻を脱し極楽浄土で成仏できるのじゃ!といういわゆる「他力本願」の教えだね。
自分だけが悟るのではなく、衆生にもその道を示さんとする大乗仏教の分派として、1世紀頃に誕生した「浄土教」。奈良時代には日本にも伝来していたそうなのだが、鎮護国家の手段として用いられた奈良仏教は、どちらかといえば呪術的かつ学術的な色合いが強かったため、平安時代に統合仏教の総本山を目指していた天台宗の僧たちによって、あらためて広められたんだそうだ。貴族らは阿弥陀如来が住む極楽浄土の世界を寺院や庭園によって具現化しようとした。宇治の平等院などはその一例で、藤原道長の息子によって末法元年(1052年)に建立されたそうだ。お先真っ暗な末法の世において、浄土信仰は最後の頼みの綱だったのかもしれないね。

こんな時代背景を持つ平安末期に巨大な権力を持ったのが後白河上皇。彼は六道輪廻の世界を描いた病草紙や餓鬼草子、地獄草紙などの「六道絵」シリーズをプロデュースすることになるんだけど、この後白河って人を調べてみるとなかなか波乱にとんだ生涯で、天皇派・上皇派・藤原氏・平氏などの派閥が敵味方ぐちゃぐちゃに入り乱れる権力争いの場に半ばなりゆきで引きずり込まれて、以降何度も何度も激しい浮き沈みを繰り返している。一方でその人となりは、好奇心旺盛で芸能には人並みならぬ関心を持ち、仏教への信仰も厚かったんだとか。平清盛との関係が比較的友好だった頃には、両者協力して貴族の反対を抑え積極的に日宗貿易を行ったそうで、博多には宗人の居住区があったらしい。もしかしたら、先に紹介した「猿図」もこの時期に日本を訪れた宗の画家の手によるものなのかもね。

それから、六道輪廻っていうのは仏教における輪廻転生のひとつの考え方なのだろうと思っていたら、そうではないとする説もあるみたい。いわく、六道は生まれ変わって行く場所ではなく、迷いながら生きている人間の揺れ動く心の様子を指すのだと。
まあ地獄草紙などの六道絵は、どちらかといえば死後の世界として描かれたものなんだとは思うけど、例えば栄華を極めたかと思えば没落して幽閉され、復権を果たした後も常に平氏や延暦寺、後には源氏との確執を繰り返しつつ、しぶとく平安から鎌倉の動乱の時代を生き抜いた後白河上皇の一生なんかは、まさに六道輪廻そのもののような気がするし、娑婆に生きる人間の醜さあさましさをそのまま描いたものだと見ることもできるのかなあ、なーんて思ったりもした。

いずれにしても絵巻物を見ていつも思うのは、絵だけではなく文字も読めたらいいのになあということ。最近はキャプションに大意が解説してあったりもするけど、やっぱり原文読めたら楽しさも倍増するはずだものね。

阿弥陀如来立像/永仙 国宝室の次は平安~室町時代の仏教美術。今回はまず左の画像の「阿弥陀如来立像」が部屋の入口でお出迎え。
ガラスケースに入った1メートルにも満たない小さな立像でちょっと硬いかんじではあるけれど、なんというか凛とした気品のある姿。
鎌倉時代中期の正嘉3年(1259年)、施主真観法師による当時21歳の永仙という仏師の作。仏像頭部に入っていた墨書銘により、この時代には珍しく製作年や作者などの造像に関する詳細がわかったそうだ。
この如来像の立ち姿を「来迎形」という。「来迎」とは上で紹介した浄土教において、信心しているものが臨終を迎えたときに阿弥陀如来が直々に「迎えに来たよん」とやってくることなのだそうだ。
浄土信仰がさかんになった平安後期以降には、阿弥陀如来像が数多く製作された。奈良~平安時代の阿弥陀如来像は、中国から伝わった曼荼羅のイメージ通りに座像であらわされることが多かったんだけど、浄土教をより平易に噛み砕いて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えていれば救われるとした浄土宗が庶民の間に広がった鎌倉時代には、臨終した者をより早く迎えに来てほしいという願いから、座像から立像へとその姿は変化したのだという。阿弥陀信仰が深かった快慶が、この来迎形の阿弥陀像を数多く残しているそうだ。
快慶が活躍した時代から60年ほど後のこの正嘉という時代を調べてみると、元年に大地震あり、二年に大風、三年には大飢饉ありと相変わらずひどい天災が続いている。「都には死人を食べる尼があらわれた」なんて記述も残っていたり(『五代帝王物語』)。だから、この阿弥陀如来の造像にあたってはさぞ切実な祈りがこめられていたはずだと思うんだけど、正嘉3年3月に元号を正元と改めてからも疫病が大流行したりして、まだまだ厄災が終わることはなかったようである。。

続く宮廷の美術コーナーでは、扇形の紙に絵を描きその上にお経を書いた「扇面法華経冊子」や「扇面雑画帖」などが面白かった。やっぱり実際に扇子として使っていたのかな。
禅と水墨画コーナーは今回は個人的にそれほど好きなものはなかったけど、伝狩野元信筆とする「祖師図」という障壁絵を掛軸にしたものや、雪舟の「四季山水図」などが目を引いた。
井桁釜/伝大西定林木葉天目/中国 吉州窯
お次は茶の湯の部屋。ここも昔は素通りしてたものだけれど、よく見りゃ素敵なものいっぱい展示してあるんだよね。左は「井桁釜」江戸時代の伝大西定林作。いわゆる三猿がかわいい。大西定林は江戸時代中期の釜師。釜師ってのは茶釜を作る鋳物職人ね。下で紹介する古田織部に従って江戸入りし江戸大西家を開いた、とのことです。
右は南宋時代の中国の吉州窯で焼かれた「木葉天目」。天目ってのは、日本は鎌倉の時代に南宋の天目山の禅寺に留学した僧が持ち帰った茶碗なのだとか。吉州窯は文字や梅の花の柄などの文様の入った天目を得意としていたそうで、木葉天目の場合は、釉薬をかけた上に木の葉を乗せて焼くとその部分だけ灰がまざって色が変わるというものらしい。でもその技法は門外不出だったので、現代でもどうやって作ったのかはっきりとはわからないんだとか。
織部向付/美濃粉引徳利/朝鮮
左は江戸時代初期に美濃で焼かれた「織部向付」。
この手の器、織部焼なんて呼ばれるからてっきり織部っていう地方の焼き物なんだとずーっと思ってたら大間違い。千利休の弟子の古田織部っていう茶人プロデュースの焼き物でした。 この古田織部という人、元々は武士で古田重然という。織部ってのは官職名だそうなのだが、例えば石田三成を治部少輔と通称するようなものらしい。信長には武士として仕え、その後数寄者として千利休の跡を継ぎ、秀吉や家康には茶人として対等に渡り合ったとか。織部焼に限らず、桃山文化を代表する人だったみたいです。
右は16世紀の朝鮮で焼かれた「粉引徳利」。
朝鮮の粉引は昔からなんか好きなんだけど、キャプションによると「粉引とは灰黒色の胎土の全面に白土を塗りかけ、透明釉を掛けて焼成する技法をいう。朝鮮半島西南部の全羅道一帯で作られた。長年の使用により雨漏とよばれるしみが生じて景色をなすことから、粉引の徳利はとくに人気が高い」とのこと。うちの急須も朝鮮じゃあないと思うけど粉引で、茶渋がいい感じについてきました。キャプションにある「白土」とは泥状の磁土で白磁というものだそうで、普通は磁器の材料にするみたい。なので粉引は分類上は陶器だけど、磁器とのアイノコとも言えるかも?あ、陶土と磁土を混ぜて焼く半磁器ってのもあるんですかそうですかー。


と、2階展示の約半分ぐらいまで来ましたが、長くなっちゃったのでまたしても続く!


東博本館倉庫扉

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 東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ1
 東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ3
 東博常設展観覧の巻
 東京国立博物館 「博物図譜-写生とそのかたち-」後期展示
 東京国立博物館 「特集陳列 旅と街道」&特別展「仏像」
 東京国立博物館 「光彩時空」& 法隆寺館、本館常設展 

関連外部リンク:
 東京国立博物館 公式サイト

東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ1

今日は敬老の日で、東博の平常(常設)展無料観覧日。

国宝87件と重要文化財622件を含む、その総収蔵数は11万を越えるという東京国立博物館。常設展といってもな侮るなかれ。定期的に展示替えが行われていて、行くたびに見たことがない名品に出会えてお腹いっぱいになれるのだ。
昼すぎに上野駅の公園口を出たらすごい人ごみにびっくりしたけれど、東博自体はそれほど混んでいなくて一安心。やっぱ特別展とかじゃないと見る気にならないものなのかな。今日はタダなのにねえ。いやさ、空いててヨカッタ。

ただ、平常展の図録は販売されていないので家に帰ってからもう一度解説と併せて見返すことができないのが残念なのだが、独立行政法人化された2001年からは平常展に限り展示作品の撮影がOK(一部不可)となった。まあ館内は作品保護のためかなり暗いし、三脚立てられるわけではないのでどうしたってブレブレの写真ばかりになってしまうんだけど、図録とはいかないまでもお気に入りの作品はやっぱり撮りたくなってしまうというのが人情というもの。

そんなわけで今回は手ぶれピンボケ写真による、東博本館平常展のご紹介です。

東博0921 まずはジャンル別展示の1階は彫刻の間から。 彫刻といっても日本美術の彫刻はそのほとんどが仏像彫刻なので、この部屋はいつも素敵な仏様に出会えるのです。…って、さっそくピンボケですみません。。
広目天毘沙門天
今回展示されている中で好きだったのは、浄瑠璃寺の「四天王立像 広目天」(左)と道成寺の「毘沙門天立像」(右)。どちらも帝釈天に仕える四天王で広目天は西を、毘沙門天は北を守護する神様。毘沙門天は多聞天とも言う。なんでも単独で祀られるときは毘沙門天と称するそうだ。広目天が平安後期、毘沙門天が平安初期のもの。びしっとにらみを利かす広目天に対して「はぁい!」とポーズを決めたようにも見える毘沙門天はぐねぐねしてて見れば見るほどなんかとても変。右手がねじれてるような…。それにしても、どっちも踏みつけられた邪鬼が可愛すぎる!

十二神将立像 辰神/伝浄瑠璃寺伝来 次の部屋は彫刻と金工。いつもは小さめの仏像とか密教の道具である鈷杵などが展示してあるんだけど、今回は運慶様式の仏像の特集展示だった。画像は浄瑠璃寺伝来の「十二神将立像 辰神」。勝手に鎌倉バロックなどと名前を付けてしまいたくなる躍動感。しかしさっきの広目天といいこの辰神といい、浄瑠璃寺には素敵な仏像がいっぱいあるんだなあと再認識。

お次は陶磁の部屋。
昔は全く興味がなくてすっ飛ばしていたけど、だんだん焼き物の素敵さが感じられるようになってきた。でもまだ京焼の良さとかはいまひとつよくわからないかなー。最近好きになったのは美濃の織部焼。決してカッコイイってわけではないんだけど、なんというか天衣無縫な自由さが素敵。大胆不敵というかなんというかw
そしてなんともモダーンな鍋島焼。といっても有田焼と伊万里焼と鍋島焼の違いがまだそんなによくわかってなかったりもしますが…。最近まで柿右衛門様式の赤い絵付が伊万里で青いの(いわゆる染付)が有田焼だと思ってたしなあ。どうやら有田=伊万里のようで。んで、有田地方の中でも鍋島藩直営の窯で焼かれたものを鍋島と言うらしい。幕府や大名への献上品専用の窯で、当時のトップデザイナーによる最高級品が作られていたんだそうな。なので、なにしろデザインが垢抜けているのだ。
画像は左が鍋島の「色絵毘沙門亀甲文皿」右が美濃の「織部開扇向付」。
鍋島織部
法具蒔絵経箱秋草蒔絵楾菊蒔絵菓子器
陶磁器の次は漆器。少し前にサントリー美術館で「japan 蒔絵」展が開催されていたけれど、ここ東博の常設蒔絵コーナーも毎度来るたび欲しくなっちゃう漆器に出会えます。

今回は鈷杵をデザインした「法具蒔絵経箱」なんていう珍しいものが出ていた。おそらくは密教の経典を入れた箱だということで、真ん中に描かれているのが五鈷鈴、その左右に独鈷杵と三鈷杵、下に五鈷杵が配置されている。舞っているのは蓮の花びらで蓋の側面から続いているデザイン。

ちなみに僕の好みは左の画像のような秋草蒔絵。最近知ったんだけどこの菊や桐、桔梗などの秋草を配した蒔絵を高台寺蒔絵と言うそうです。「秋草蒔絵楾」というタイトルのこの漆器。楾(はぞう)とは水を注ぐための道具で、角盥(つのだらい)とセットで使うものだとか。

左下の画像は「菊花蒔絵菓子器」ということで、お菓子入れだったようです。クインシー・A・ショー氏寄贈ということなので輸出ものだったのかな?欲しいなあと思った一品。
次のコーナーは刀剣だったけど、昔からどうも興味が持てないので軽く流す。でも戦乱のなかった江戸時代の刀は装飾品として愛でられていたようで、華奢で細かい細工が施された鍔とかはちょっと面白かったかな。
画像は馬をデザインした「双馬図鍔」。コースターなんかでこんなのがあったらいいかも?w
双馬図鍔
龍涛螺鈿稜花盆龍涛螺鈿稜花盆 さて、次は中国漆工の特集展示。日本の蒔絵漆器とはまるで違う漆の数々が並ぶ。下の画像は七色に光る貝片を使った元時代の螺鈿細工「龍涛螺鈿稜花盆」。名前のうち、龍涛は絵柄を稜花は盆の形をあらわしている。
龍はいわゆる「五爪の龍」で、皇帝の象徴なんだとか。言われてみれば日本の龍は三本指だし、中華思想においてはやっぱかなーり格下らしいw。まあそれはともかくとして、夏に見た「染付」展(→ 過去text)のときにも思ったんだけど、元時代の中国っていいものが多いのかも? 他には地に塗った漆を彫って、そこに色漆をはめ込んで絵柄を作った存星という技法のものが好きだった。
民族資料コーナーは琉球の工芸の数々。全体に大らかで素朴な印象だったけど、画像の「カラカラ」という名前の酒器はちょっと欲しいなあと思った。その名の由来は、音がカラカラと鳴るからという説と、酒盛りの席などでこの酒器をめぐり「カラ(貸せ)、カラ」と声が上がったからという説があるそうだ。今でも泡盛などを容れて使われているとか。誰か沖縄に行ったらお土産にくださいw。 カラカラ
亜米利加渡来風刺武具の図
今度は歴史資料。
江戸から明治にかけての博物図譜などが展示されることも多い、好きなコーナー。
今回は「世界と日本」の特集陳列ということで、江戸時代のいい加減な世界地図とか三代目弥次さん喜多さんが西洋を旅する「万国航海西洋道中膝栗毛」なんていう滑稽本が出てましたw。
上の画像は「亜米利加渡来風刺武具の図」という黒船来航の頃に描かれた風刺画で、「この図の魚海辺に浮きあがり、それ見た異国渡来のものどもは、毒気に当てられ死んじゃった、安堵の人々手拍子腹鼓、神国バンザイめでたしめでたし」といった内容の文が添えられている。それにしてはこの武具のフグ(駄洒落じゃ)なんともカワユスw
下の鳥と猿の画像はどちらも「長崎渡来鳥獣図巻」から。オランダや中国の船から輸入した鳥獣の博物図譜なのだそうで、猿の方はヲランウータンと読めるけど、鳥の方は「朱柄鷺」と書いてなんと読むのかな?
長崎渡来鳥獣図鑑長崎渡来鳥獣図鑑
月下擣衣 1階の部屋も残すところ後2つ。本館左側面をまるまる使った大きな部屋には、明治以降の日本画や洋画、彫刻などの近代美術が展示してある。
どうしても明治以降のものって江戸以前に比べて雑味が増す印象ではあるし、そのアカデミズム権威主義に辟易としてしまう岡倉天心~横山大観などへの先入観はどうしても拭えないんだけど、今回出ていた川合玉堂の「月下擣衣」という水墨画は結構好きだった。
擣衣(とうい)とは、冬支度のために洗った着物を柔らかくして艶を出すべく砧打ちをする意味。この画像では小さくてわかりにくいけど、木立の向うに小さな人影がふたつ。実物は結構大きな掛軸でした。墨の感じがなんかよくてねー。
鷲置物月に雁図額/加納夏雄
1階最後の部屋は近代工芸の展示。今回は大好きな並河靖之の七宝は展示していなかった。画像は鈴木長吉という人による鋳金の「鷲置物」と、加納夏雄による木彫りかと思いきや鉄地を彫った「月に雁図額」。バックの黒い月は平象嵌した銀。どちらの作品にも、明治という和洋混濁の時代にいまだ残る江戸職人の血脈のようなものを感じてみたり。


あと階段下にある、本館というよりは東洋館にあるべきインド~アジアの仏像展示を軽く流して、とりあえずこれで1階の展示はおわりー。次は2階だっ!

東博中央階段

<続く> 


関連text:
 東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ2
 東京国立博物館 平常展無料観覧日 ソノ3
 東博常設展観覧の巻
 東京国立博物館 「博物図譜-写生とそのかたち-」後期展示
 東京国立博物館 「特集陳列 旅と街道」&特別展「仏像」
 東京国立博物館 「光彩時空」& 法隆寺館、本館常設展 

関連外部リンク:
 東京国立博物館 公式サイト

"Deer Scroll"をスクロールする楽しみ

この夏、サントリー美術館の「シアトル美術館展」で展示されていた「鹿下絵和歌巻」。
桃山末期から江戸初期に生きた本阿弥光悦と俵屋宗達による絵巻物。

シアトル美術館が持っているのはこの絵巻の後半部分で、前半部分は日本国内にとどまったものの、ズタズタに分断されて和歌一首分ごとに掛軸になっちゃったりしたそうだ。

現在はその断簡は、個人蔵&国内のいくつかの美術館所蔵となっているんだけど、今回の展覧会ではシアトル美術館所蔵の後半部分のみならず、前半部分も可能な限りかき集めて併せて展示されていた。

ただ前半部分は会期中3度の展示替えがあって、すべてをいっぺんに見ることはできなかったので、日本美術マニアのブログなどを見るとぶーぶー文句言ってたりもした。でもまあどちらかと言えば、和歌よりも絵がメインになっているのはシアトル美が持っている後半の方だったし、それを出し惜しみすることなく全部ひろげて見せてくれていたので、見応えは充分だったんだけどねー。


と、もう終わってしまった展覧会の話をなんで今更しているかというと、シアトル美術館のサイトでこの絵巻ものをデジタル復元していて、全一巻をまるまるweb上で見られてしまうのですよ!しかも和歌一首ごとに、英語は無論としても日本語で丁寧な解説がついている。

Seattle Art Museum: Deer Scroll
(要flash9以上)

deer scroll1
deer scroll3
deer scroll2


日本の美術館でここまでやってくれているところがあったら教えてほしい。
てか鳥獣戯画とか地獄草紙とかでぜひやってほしい!!

東博とかもそうだけど、美術館でならある程度はデジタルデーターの閲覧ができる。でもわざわざ美術館行ってまで液晶モニター見たりなんかしないんだし、どうせなら美術館のパソコンで閲覧できるものを全部webで公開してほしい!

著作権って話でもなさそうだし国会図書館なんかは結構頑張っている方なんだろうけれど、やっぱまだまだ日本はデジタルアーカイブに対する考え方が古いのかなあ。それはそのまま国の民度っていうことにもなるのだろうか・・・。
「アニメの殿堂」なんかで揉めるよりもっとやることあるでしょ!


(おまけ)
国立国会図書館電子展示会「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」



特別展「染付-藍が彩るアジアの器」

passport2009.jpg東博の年間パスポートの期限が迫って来た。常設展は何度でもOKで6種類の特別展も見られちゃうこのパスポートは、4000円で1年間有効。
まだ5種類しか特別展を見ていないのに、このまま期限が切れちゃうのはもったいないと、さほど期待もせず半ば無理矢理でかけた「染付」展。青一色の焼物が並ぶしぶーい展覧会なのかなと思いきや、ところがどっこいこれが大当たり!

白磁にコバルトで絵付をしてから上薬をかけて焼く技法が中国で誕生したのは元の時代。そこからアジア各地に広がっていった「染付」を時代順に展示してありました。

とだけ書くと「へーそーですか」ってかんじなんだけど、まず会場を入った所にあった元時代の魚の絵柄の大きな壷が素敵すぎていきなり嬉しくなっちゃって、ごてごての中国柄の後に続くベトナムや朝鮮などの素朴さにほっこりし、日本の余白の美や遊び心には感じ入ることしきり。。 「青一色」だなんてとんでもない! 時代や地域ごとに、これほど様々なバリエーションがあるとは思いもしなかった。
好きだったものや面白かったものをほんのいくつか紹介してみます。

青花蓮池魚藻文壷 青花蓮池魚藻文壷
青花蓮池魚藻文壷  中国・景徳鎮窯 高さ28.2cm 元時代 14世紀
これがまずはじめに出迎えてくれた壷。魚も海藻もほんとに素敵でねー。
画像は同じ壷の表と裏。思わずぐるりと一周したくなってしまう図柄なので載せてみた。ちなみに名前の「青花」とは、中国で「染付」の意。


青花秋草文壷
青花秋草文壷
朝鮮 高さ27.5cm 18世紀
青花草花文瓶
青花草花文瓶
ベトナム 高さ28cm 15~16世紀
朝鮮とベトナムのものを1点ずつ。この素朴な感じがさりげなくて好きだった。
中国のびっしりと埋め尽くされた文様の後に見ると、なんだかほっとしたし。それにしても朝鮮の余白の感覚って、きっと日本のものとは別物なんだろうな。寂しげというか、儚げというか。ベトナムの染付は、安南焼の名で知られているもの。やっぱどこかしら南国チックなかほり?


祥瑞砂金袋水指
祥瑞砂金袋水指
中国・景徳鎮窯 高さ18cm 明時代 17世紀
呉州染付牛文十二角水指
呉州染付牛文十二角水指
中国 高さ18.3cm 明時代 17世紀
この二つはどちらも明時代の中国で焼かれたものなんだけど、発注元は日本の茶人なんだって。言われてみれば中国っぽくもあり和っぽくもあり、ちょっと不思議な感じかも。
きれいで真っ白な地に鮮やかな青で精緻な文様を施したものを「祥瑞(しょんずい)」、灰色がかった地に鈍い発色の青で簡素な文様を描いたものを「呉州染付(ごすそめつけ)」と呼ぶそうです。


瑠璃地染付蓮図水指 瑠璃地染付蓮図水指
伊万里 高さ20.8cm 江戸時代 17世紀
17世紀前半に朝鮮の陶工によって日本にも染付技法がもたらされた。秀吉が朝鮮出兵の「戦利品」として連れてきたって説もあり。んで、九州の有田地方で焼かれた染付を積出港の名前をとって伊万里焼としたそうだ。これは初期伊万里。やっぱ日本になるとなんか柔らかくなるよね。
sometsuke_5 染付兎形皿
伊万里 径15cm 江戸時代 17世紀
次第に中国の影響が薄れて自由奔放になってゆく伊万里焼。兎の形が浅い浮き彫りになっていたりして、ちょっとグロといえばグロw
染付岩鹿水禽図輪花鉢 染付岩鹿水禽図輪花鉢
伊万里 口径33.5cm 江戸時代 17世紀
染付岩鹿水禽図輪花鉢_1
洗面器みたいな大きな輪花鉢。画像だとわかりづらいけど、見込の外周部分には岩、竹、鳥、鹿などが描かれている。ことに岩の濃淡がすごく綺麗で引き込まれそうになった。
染付草花図輪花大皿
染付草花図輪花大皿
伊万里 径37cm 江戸時代 17世紀
今回の展示の中で一番好きだったもの。色といい、構図といい、形といい、なんかもう、完璧!
なんでも柿右衛門様式の染付バージョンで、「藍柿」と呼ばれるものらしいんだけど、その特徴まではよくわからない…。左右比対称の大和絵風の図柄とかなんとか。
青磁染付水車図大皿 青磁染付水車図大皿
鍋島 径30.5cm  江戸時代 17~18世紀
出ました鍋島。この時代のものとは思えないモダンさが異質な感じ。
小憎らしいほどに計算し尽くされた画面構成。しかし水は一体どっちに向かって流れているんだろう?水車の向きがぁああっ!なーんて考えてはいけないのだw
染付洗象図大皿 染付洗象図大皿
伊万里 径40.3cm 江戸時代 18~19世紀
最後の部屋にあった、江戸後期の伊万里焼を集めた「平野耕輔コレクション」より。伊万里焼の円熟期、といったところかな。明~清の時代に北京で行われていた「洗象」という年中行事の図だそうだ。
関係ないけど、この皿を見て「群盲撫象(ぐんもうぞうをなず)」なんて言葉を思い出してしまった。

とまあこんな感じで、ひとくちに「染付」といっても奥が深すぎ。伊万里だけでもどんだけ種類があるんだろう…。

それにしても、いつもの企画展の半分のスペースしか使っていなかったのに(もう半分は「伊勢神宮と神々の美術」展だった)、この密度の濃さはすごい!
また、展示に使われていたガラスケースがやけに味がある古いものだったり、「染付の美を活かす」と題して「朝食だったらこんな茶碗や皿」「酒のもてなしならこんな徳利や酒呑」「月見の茶会のセットにはこんな茶器」といったテーマを設け、藍染の布を敷いた台の上に時代場所を問わずいろんな染付を組み合わせてディスプレイしてみせたりと、なんというか、その端々に主催者の愛を感じるいい展覧会だったなあ。

染付展 図録 図録もいい感じで値段も手頃だったので、思わず買ってしまいました。

調べてみたらこの展覧会は新聞社などのスポンサーがついていない、東博だけの独自企画展示なんだそうだ。しかもこの企画展のために東博内でコンペもあったのだとか。愛を感じたのも道理?w
てか、何度も言うけど本当に素晴らしい展覧会でした。ますます焼き物にも愛着を感じられるようになったしねっ♪






関連外部リンク:
 東京国立博物館|特別展「染付-藍が彩るアジアの器」
 弐代目・青い日記帳|特別展「染付」



「資生堂・サントリーの商品デザイン展」 &「阿修羅展」

資生堂・サントリーのデザイン 阿修羅展

思っていたより旧岩崎邸でゆっくりしてしまった。
不忍池はなぜだか足こぎボートで満杯。そんなに楽しいのかな。
上野公園を抜けて、午後5時に芸大陳列館に到着。
奥様が見たがっていた「資生堂・サントリーの商品デザイン展」を見る。
戦前から現代にいたるサントリーと資生堂の商品展示なんだけど、入場無料だってのにかなりの量の展示。 特に資生堂のデザインは戦前から今に至るまでカッコイイと再認識。 モダーンなのである。
なかなかいい展覧会だった。興味ある方はこちらから。

 東京芸術大学大学美術館サイト


午後6時東博着。入り口に「阿修羅展30分待ち」の貼紙。
予定通りまず先にいつものコースで本館の常設展示を見る。
大好きな菩薩立像がお出迎え。国宝室は普賢菩薩。本館全体が絵巻物特集っぽくて源氏物語などの絵巻や屏風がいっぱいあった分、それほどめぼしいものはなし。

午後7時平成館へ。
午後8時閉館なのにまだまだ続々と人が入って行く。
第1室は宝石やガラス玉や和同開珎など。
みんなガラスケースにへばりついて見ているのですっとばして第2室へ。

華原磬(かげんけい)っていう龍と獅子で構成された真ん中に銅製の金鼓をはめ込んだ仏具が素晴らしく欲しかった。画像と解説はこちら

 興福寺:銅造華原磬(どうぞうかげんけい)

第3室は八部衆と十大弟子の立像の間。
みんな天平年間の乾漆仏。十大弟子の中で一番若い須菩提立像は素敵だったけどそれ以外はまあまあ。なにしろ人がいっぱいでわさわさしてたしなー。

それから、トンネルを抜けて阿修羅の間へ。
入ってびっくりすごい人。レオナルドの「受胎告知」のときと同じような一室一点展示で、暗がりの中まずはスロープから阿修羅を見下ろす(っていうか同じ高さらしいけど)。そこにびっしり人だかり。
見下ろす阿修羅は4重くらいの人の輪の真ん中で強いライトを浴びてさらし者という感じ。他の八部衆と同じサイズのはずなのに思ったよりも遥かに小さく感じられた。

せっかくなのでするすると輪の中へ入って行って最前列で見ていたら、隣に屈強なスタッフが入って来て「動いてくださーい。」とぐいぐい時計回りに押し始める。見上げながら押されまくって腰が痛い。うるさい。女の子が押しつぶされそうになって悲鳴をあげる。いやはや、大変な騒ぎ。これがほんとの「阿修羅地獄」?w
しかも一周して見てみたけどやっぱり阿修羅は天平仏。そのシンメトリーな造形は正面から見るのが一番なような気がした。「左右の顔は正面に比べてちと手抜きっぽかった」とは奥様の弁。スロープつきの一室一点展示にして、さもご大層な見せ方をするからみんなつられて逆に動かず大混雑。なんか間違ってる。

阿修羅の間を出てロビーを抜けて第2会場へ。
こっちは鎌倉時代の仏像がお出迎え。
運慶の父、康慶作の四天王はどれも踏みつぶされた邪鬼が素敵。にらみを利かせる四天王の動きや風にたなびく装束の表現は運慶ほどではないものの、さすがは鎌倉バロックといったかんじ。でもこれって、今のフィギュアの表現とまったく同じだなーって改めて思う。
その次は4メートル弱とバカでかい作者不詳の薬王・薬上菩薩。デカかったせいなのかなんなのか、かなりよかった。その後は運慶作とされる仏頭と、雲中ならぬ飛天。どれも欠けていてちょっと痛々しい。中でも仏頭は前部の螺髪がかなり取れていて悲しい。

最後の部屋はなんとバーチャル映像による阿修羅像の上映室!
普通ビデオ上映は会場の外の下の部屋でやるのに・・・。
これで全ての展示が終わりとはびっくり。ぼったくりとは言わないまでも予想以上のスカスカさ。 たしかに「阿修羅展」って名前だったけどさー。
図録も見てみたけど、点数少ない分もう写真集というかんじだったので買わなかった。グッズコーナーに群がる人々の大半は若い女性。なんでも阿修羅のフィギュアはとっくの昔に完売だそうだ。

奥様と合流して一応もう一周した。
ライブハウスさながらの阿修羅の間では「こんなライティングじゃほんとの色が全然わかんない。映像の方がよっぽど良く見える。大体阿修羅ってそんなにいいかねえ」と奥様文句ぶーぶーw

閉館時間になって外に出ると入口の大きな阿修羅展告知ポスターの前に人だかり。暗がりの中、みんな携帯でポスターの阿修羅様を撮っている!そのほとんどが若い女性。あまりのことに笑ってしまったけど、このミーハーぶりは一体なんなんだろう。

みうらじゅん的仏像鑑賞は面白いと思うしいいんだけど、それがスタンダードを通り越してアカデミックっぽくなってるのはなんだかとても異常。仏像展や禅寺展でいつも思う事だけど、この盛況ぶりを外国人が見たらきっとどんなカルト宗教かと思うだろう。
でも、僕も含めて敬虔な仏教徒などはほとんどいないこの不思議。フィギュアオタクならぬ仏像オタクが群がるならまだわかるとしても普通っぽい女の子たちが、さながらアイドルを見にくるように仏像を鑑賞する。「癒し」とかなんとかそういうことなのかな?
どっかの社会学者かなんかに解説してもらいたくなる。


上野駅アトレの韓国家庭料理屋へ。石焼ビビンバなど食べる。おいしかったけどドリンク無料券を使っても二人で6000円以上したのはちと高かったかな。
うまいこと雨にあわずに午後11時帰宅。 ちかれたー。

「小袖 ~江戸のオートクチュール」展

小袖展

昨日は湿度45%なれど夏日。
テレビで「洗濯日和は今日まで」と言っていたので
台所やトイレのタオルなどを無理矢理洗濯してから
サントリー美術館の小袖展にでかける。久しぶりの外出。
よくわからなくて長袖を着て出かけたら電車の冷房切ってあって汗だく。

乗換駅で電車を待っていたら隣の椅子に座っていたサラリーマンが
iPhoneを取り出し左手で何かを調べつつ、右手の携帯でメールを打っていた。
touchかな、と思ったけどiPhoneだった。
やっぱそういう使い方になるのかな。
ちなみにiPhoneは透明なアクリルケースに入ってはいたけど
かなり手の脂と指紋でべとべとになっていて中々みすぼらしかったです。

ミッドタウンの3階にある美術館に着くと、受付からかなりの混雑。
中に入ると見事に女だらけ。男は奥様のお供をするおじさんが2人ほど。
着物を着て行くと300円割引になるからか和服姿のおば様が多い。
それにしてもみんながみんなそれぞれによく喋る。

「ほら今の着物と袖の形が違うでしょ。これが元禄小袖なのよ」
「テレビの篤姫の着物ほんとに豪華よねえ。あらこれ縫目で柄がずれてるワ」
「古い着物を仕立て直したからってあっちに書いてあったわよ。
 それはそうと家定のほんとの顔って知ってる?」
「ごついのよねえ。ほんとに暗殺されたのカシラねえ。」
ってゆーかお前らうるさすぎw

また、これだけガンガン無意識な体当たりをくらった展覧会も初めてだった。
無邪気で悪気の無いあの無遠慮なずうずうしさは、やはり女特有のものなのか
と、これまた問題発言をしたくなるかんじ。いやほんとアイツら苦手。。

でも肝心の展覧会はかなり見応えがあってよかったです。
小袖以外にも、江戸時代には下着ではなく上に羽織っていたという腰巻とか
外出時に頭から羽織っていた被衣(かづき)なんていうものもあったっけ。
メインの小袖も、豪華絢爛というよりは、大胆で洗練されたデザインの
面白さが際立っていました。

扇面模様振袖 菊模様小袖 網に魚介模様浴衣
左から 扇面模様振袖,菊模様小袖,網に魚介模様浴衣



御所車花鳥模様小袖 流水に山吹模様小袖 格子に幟旗模様小袖
左から 御所車花鳥模様小袖,流水に山吹模様小袖,格子に幟旗模様小袖



八橋に杜若模様小袖  松枝垂れ桜に蹴鞠模様小袖 楼閣庭園模様小袖
左から 八橋に杜若模様小袖,松枝垂れ桜に蹴鞠模様小袖,楼閣庭園模様小袖



格子に梅樹秋草模様小袖 当流七宝 常磐ひいなかた 雪持ち柴垣に梅樹模様小袖
左から 格子に梅樹秋草模様小袖,当流七宝 常磐ひいなかた,雪持ち柴垣に梅樹模様小袖



丸紋散らし模様縫箔 松竹梅に匂袋模様小袖 雪輪に梅春草模様小袖
左から 丸紋散らし模様縫箔,松竹梅に匂袋模様小袖,雪輪に梅春草模様小袖


「あら。これなんか若冲みたいじゃない?」なんて声も聞こえてたけど
実は若冲はこういった着物からも着想を得ていたんじゃないかな。
きっと、チョサクケンなんていう概念もあんまりなかった江戸時代だからこそ
たくさんの二次創作が生まれ、そこから更に様々にかたちを変えて
あそび心に満ちあふれた色々な作品が生まれたのかもね。
無論着物に限らず、戯画や狂歌や百花繚乱江戸のさぶかる。
根付なんざはさしずめフィギュア。

和歌の文字を部分的に刺繍であしらったものとかも謎掛け風で粋だったな。
他に光琳風の雛形を載せた「光林すかた」などの
着物の図案集というか商品カタログでもあった雛形本もいっぱい出てました。

西川ひな形
西川ひな形
 

会場を2周した午後4時半くらいには結構空いて来た。
やっぱ夕方ぐらいに来た方がよかったのかも。
平日は毎晩午後8時まで開いているんだもんね。

外に出て買った図録を眺めてたら、展示されていないものがかなりあった。
なんでも今回の松坂屋の江戸小袖のコレクションは、かなりの量のため
三回の展示替えをしていて、全期に渡って展示されているものは
わずかなんだそうな。
でもまあ、図録のものを全部一度に展示されたら
きっと多すぎてわけわかんなくなっちゃうだろうし
今回の展示だけでもじゅうぶん眼福。

着物好きの人はもちろんのこと、見て損のない展覧会だと思います。
会期は9月21日(日)までなのでお早めに。
公式ページはこちら。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/08vol04kosode/index.html

ひさびさの洋画~「モディリアーニ展」

モディリアーニ展
午後4時前に家を出た。
奥様から譲り受けたモディリアーニ展のただ券の期限は今日まで。
六本木近辺はなんとなく昔から鬼門なんだけど、ただ券には代えられないな、と。
今日は金曜だから夜8時までやっているのだ。

午後5時過ぎ新美術館到着。
大混雑を予想する中、昼間部のおばちゃん連が引き上げて
仕事帰りの客が来る前ならちょっとは空いているかと狙って来てみたら
かなーり空いていてラッキー!絵の前に人が全然いない作品も結構あって
ゆっくりじっくり見ることができた。

モディリアーニは俺的にはモジリアニという表記の方がしっくりくる画家。
なんとなーく好きなんだけど、なにが好きなのかはよくわからない。
展覧会は初期の彫刻家を目指していた頃のエスキースから始まって
神殿の柱を支える女神のカリアテッドシリーズの絵や、やがて画家として
本腰を入れ出した肖像画シリーズへと続く。
ずっと印刷でしか見てなかったからか、肖像画シリーズの色がとても綺麗に見える。
どの絵も座っている人物は気持ち画面の向って左寄りで右側の空間が広めなのは
なんでだろう。構図的な問題かはたまた心理学的ななにかなのかな。

なんて思いながら見て行くと
展示の中盤辺りに「少女の肖像《ユゲット》」があった。
ユゲット
浪人当時、モジリアニ展を見に行って
「ユゲット」が使われているキャンバス地のポスターを買って帰り
実家の自室にずっと貼っていたことをまざまざと思い出す。
実物はこんなに大きかったんだなー、と20年ぶりの再会に嬉しくなる。
ほんと空いててよかった。
金をあまり持って来なくて、途中銀行にも寄れなかったので図録は諦め
絵葉書を3枚ほど買う。図録はまた後日買おう。

モディリアーニ展は6月9日まで。金曜の夕方はいつも空いてるのかな?

ひさびさノ江戸気分~『幕末浮世絵展』

幕末浮世絵展
午後4時すぎ三鷹到着。駅からそのまま陸橋渡って三鷹市美術ギャラリーへ。
この美術館は前に一度「高島野十郎展」を見に来たことがある。
毎度シブイ展覧会ばかりやっているらしい。

今回見に来た「幕末浮世絵展」は、中右 瑛って人の個人コレクションの展示で、東京の大丸デパートでも先週まで「中右コレクション 四大浮世絵師展-写楽、歌麿、北斎、広重」なんてのをやっていたらしい。
国際浮世絵学会常任理事なんていう肩書きを持つこの人は何者?
きっと金持ちコレクターに違いない。

すごく空いていて嬉しい。やっぱ絵はこのくらい空いてないと見た気がしない。
ひさびさに江戸に触れるけど、なんなんだろうこの親近感は。
明治時代なんかよりずっと身近に感じられる自由奔放な浮世絵の世界。
なんというか感覚とか空気が現代にとても近い。
いや、現代よりずっと伸びやかで遊び心いっぱいの柔軟な世界。
まるで企業のプレゼンのようなコンセプチュアルアートや
中途半端なポップアートなんか全然目じゃないって感じ。

新吉原大なまず由来/無款
「新吉原大なまず由来」無款


歌川派の絵がいっぱいあった。豊国はやっぱカッコイイ。広重はやっぱ下手w
国芳もいっぱい。国芳門下のみょうちきりんな絵もいっぱい。
3枚続きの横長の芝居絵はちょうど映画のビスタサイズ。
5枚続きはシネスコかな。1枚ごとでも絵になっている商売上手。

星の霜当世風俗 浮世風俗美女競 美艶仙女香/渓斎英泉
左/「星の霜当世風俗」歌川国貞 右/「浮世風俗美女競 美艶仙女香」渓斎英泉

国貞の女は手に持つ懐紙がエロすぎ・・・床の小道具が効いている~。
英泉の美人画は化粧品の広告なんだって。


染井植木屋金五郎/歌川芳虎
「染井植木屋金五郎」歌川芳虎

この象、変すぎる!と思ったら菊人形なのだそうなw


天保の改革あたりの風刺絵やペルリ来航時の「横浜絵」と呼ばれる
異人の絵もあって面白かった。

黒船の図/無款
黒船の図/無款


亞墨利加国鉄砲頭ヨーテレス/無款 北アメリカ副将使節真像/無款
左/「亞墨利加国鉄砲頭ヨーテレス」無款 右/「北アメリカ副将使節真像」無款


国芳の「みかけハこハゐがとんだいい人だ」シリーズも
何枚かあってなかなかグロくてよい。

としよりのよふな若いひとだ 年が寄っても若い人だ/歌川国芳
左/「としよりのよふな若いひとだ」歌川国芳 右/「年が寄っても若い人だ」歌川国芳 

「年が寄っても若い人だ」は 十二支が絵の中に隠されているそうな。
申だけみつけられなかった(悔)


肉筆浮世絵もたくさん出てました。
姫だるま
菊川英山「姫だるま」

「姫だるま」とは、年期中の遊女の辛さを達磨に見立てたものなんだとか。


文を読む女/歌川国芳 もののけの図/高井鴻山
文を読む女/歌川国芳 もののけの図/高井鴻山

国芳の肉筆画は初めて見た。今回の展覧会でいちばんよかったなー。
高井鴻山は小布施の豪農商にして陽明学者で、北斎のパトロンだった人。

おっと北斎忘れてました。こんな文字絵とかが出ていたよ。
絵文字六歌仙 在原業平 /葛飾北斎
「絵文字六歌仙 在原業平」葛飾北斎


とにかく普通の美人画とかの浮世絵じゃない変てこコレクション。ナカウGJ!
それほど期待してなかった割にかなーり面白かったので図録も買いました。
夕方のラッシュで混み始めた電車に乗って午後6時すぎに帰宅。

米を研いでからコーヒー入れて図録を見ながらちょっと一服。
「なんで江戸時代って昔な気がしないんだろうねえ。」と奥様のたまう。
やっぱおんなじこと感じてたのねー、とページをめくりながら1枚1枚振り返る。
印刷が結構よくて、色も本物に近くてなかなかよい図録。
比べてどこぞの江戸博の図録のひどさは一体なんなんだろうか。

午後9時。「その時歴史が動いた」で、廃仏毀釈に対抗して
仏像の保存修復に力を注いだという岡倉天心を紹介しているNHK。
ふてぶてしい顔の松平アナが嫌いで、ほとんど見たことない番組だし
天心~大観も(生理的に)大嫌いなのだが、奥様は席を立たないので
そのまま消さずに俺も皿を洗いながら見てみた。

江戸で育まれた精神を分解再構築して、現在言われる「大和魂」なる
「古き良き日本の心」をでっちあげた張本人というイメージの岡倉天心。
でもまあ番組でその業績を見てみれば、彼がいなかったら
仏像なんかみんな焼かれてたのかもなーとも安直に思った。
やはり西洋コンプレックスの元祖である明治時代自体がよろしくないのかもね。

皿を洗ってゴミを出して風呂に入って午前0時。
タバコを吸いに外に出たらならば、西の空に沈みゆく真っ赤な月。

アウトサイダーアートへの雑感

日曜美術館でアウトサイダーアートを見る。
「アウトサイダーアート」って障害者の絵や彫刻なのかと思ってたら、微妙に違うらしい。

素朴派の画家デュビュッフェ(俺かなり好き)が提唱したと言うアウトサイダーアートの語源となった 「アール・ブリュット(Art Brut)」の定義は 「芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」なのだそうだ。 社会的に不完全な子供や犯罪者、身体障害者や精神病者などによる「衝動」に任せて生まれた作品を差すらしい。

番組では田口ランディという文筆家らしき女性が着物を着て出てきて、アウトサイダーアートの作品を鑑賞しながら わかりやすくもっともらしい感想を述べていて、俺はこの人嫌いだなあ、と思った。 そしてアウトサイダーな人々の「衝動」の純粋さを賛美しまくる番組内容にもちょっとウンザリした。「ここに価値を見いだした我々って素敵」的自己充足がぷんぷん臭う。

おまえらみんないっぺん佐藤真監督が撮った「まひるのほし」というエイブルアートのドキュメンタリー映画を見てみろ、と言いたくなる。そこに映し出された障害者が、「うーうー」とうめき声をあげつつ涙を流しながら紙に色を置く、美しくも苦しすぎるワンシーンを見たならばそんな取り澄ました顔などしていられないはずだろうに。

面白いと思ったのは、アウトサイダー人はみな衝動のままに手を動かし、心底からその作業自体を楽しむけど出来上がった作品には見向きもしない、ということ。
受精を目的としないオナニーのそれと同じ、行き場の無い情念。もしくは排便の快感か。まあ子供の落書きってことなんだろうけど。
おそらくは「異常」という理由だけで、ひからびた精子やウンコを愛でる上品ぶった人々の気持ち悪さをまざまざと見せつけられつつも5月に汐留に巡回するこの展覧会を見に行きたいなーと思うのであった。
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