この映画の公開当時、井筒和幸監督が「“何十年前の夕日がきれいだった”なんてことだけで、日本の歴史を語るなと言いたい」 と酷評していたことを覚えてるけど、ネット上ではその井筒監督への風当たりがかなりキツイ模様。
憎まれ口キャラのせいで人に反感を買われやすい井筒監督だけど、在日朝鮮人を主人公に据えた青春映画「パッチギ!」を撮った事で余計にネットに巣食うアンチ・コリアンの怒りを買っているみたい。(っていうかネットってちょっとものを調べるだけですぐ、「右か左か」と思想的なくくり方をした二元論ものばかりが出てくるのはなんで?)
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昭和三十四年の東京を舞台に繰り広げられる紋切型な人情ドラマから湧きあがって来る感情などはなにひとつないままに、でも一応最後まで見てみた。
VFX技術を駆使して再現したという東京の町並みは、この映画の売りってこともあって確かによくできているように見えたけど、最近のハリウッド映画と共通するどこかプラスチックっぽいCG特有の嘘くささがあるし、全編セピアトーンにまとめられた色調も、セピアというよりはデジタル処理で色補正失敗したって感じの気持ち悪い色。
そして「昔の日本は貧しくともこんなに素敵だった」という懐古主義的で平板なメッセージ臭ぷんぷんの演出。その平板さは、ネットで拾い読みした「この映画に感動した」といういくつかの文章にもそのまま繋がる印象。
完成した東京タワーの黒いシルエットを見つめながら「明日だって、あさってだって、五十年後だって ずっと夕日は綺麗なんだよ。」 と語り合いながら家族が寄り添うラストシーンの押し付けがましさにはほんとムカムカした。
いいじゃん「百年後」で。無理矢理今に合わせて「五十年後」なんて不自然な台詞言わせるなっつーの。
公開当時にこの映画のテレビCMを見て「こんなのが流行るようじゃ日本もヤバいよねー」なんて思ってたけど、実際に見てみて「こんな映画を大金かけて作る意味がさっぱりわからん」と思った。懐かしさにひたりたいってんなら、当時公開された映画を見ればいいだろうに、CGを自慢したくて撮ったのかな?
昭和三十年代だろうが江戸時代だろうが現代だろうが未来だろうが、時代設定をいつにしたっていいだろうしどこにだって物語は成立するんだろうけど、この映画みたいに物語の中での「現実」を覆い隠してしまうくらいメッセージや思想が押し付けがましいと、いくら俳優が頑張っていても美術が素晴らしくても途端に映画は死んでしまう。
でも西岸良平の原作漫画の、あのじーっと停滞したまま甘い匂いを放って腐っていくぬくぬくとした退廃的な気持ち悪さがそのまま映画になったという意味では、原作に忠実な映画だったと言えるのかも?

昭和三十年代の町並みを再現したテーマパークとかだったならば、「懐古主義!」なんて文句を垂れることもなくもっと素直に楽しめそうな気がするんだけど、映画でこれをやっちゃあいけないと思うのはなんでだろうね。
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