▲折り畳む
セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督
2008年 ドイツ・スイス・カザフスタン・ロシア・ポーランド
第21回東京国際映画祭コンペティション出品作品
さて困った。なにから書けばよいものやら。。
なんだかもんのすごいものを見てしまったんだけど。
一期一会とはまさにこのことかも。
まず、暗闇の中にゆっくりとタイトルが浮かび上がる。メインスタッフの名前が続くなか、どかどかと大地を走り抜けていく四つ足動物の足音が聞こえてくる。
「おお。やっぱり中央アジアは馬なんだな。『ルナ・パパ』の冒頭の馬も見事だったよなあ」などと思いながら見ていると、明るくなった画面に映し出されたのはなんとラクダ! 聞いたこともないような素っ頓狂なオタケビをあげて駆け抜けていくラクダどもに、あっという間に魂を抜かれてしまう。
砂嵐吹き荒れるカザフスタンのステップこそが、この映画の舞台。
ラクダが行き過ぎて砂ぼこりがおさまると、おんぼろトラクターが横付けされたユルト(カザフのパオ)が見えてくる。その中では、砂しかないステップにはなんとも不釣り合いな水兵の格好をしたヤサ男が、得意げに巨大タコと格闘した話を老夫婦に聞かせている。ヤサ男の名前はアサ。彼はこのユルトに住む娘、トルパンを嫁に取りにやってきたらしいのだが、結局トルパンは最後まで顔を出そうとはしない。布の壁の隙間からアサの様子を窺う目のカット。にやにや笑いながらその壁の方を見ているのは、トラクターの運転手でアサの友人のボニー。いつまでも終わらないへらへらしたアサの自慢話を「もういい。やめろ。」と苦々しく遮るのは、アサの義兄オンダス。
帰り道を疾走していくトラクターは、ボニーMの"Rivers of Babylon"(→
YouTubeリンク)を大爆音で鳴らしている。なにしろまわりにはなーんにもないのだ。字幕では「草原」となっていたけれど、草もロクに生えていない見渡す限りほぼ砂の大地。町などない。道すらない。木もない。でも、砂漠ではない。そんな土地の物語。
水兵服のアサは浮かれて結婚式の話なんかをしながら、音楽に合わせて腕をくねらせタコみたいに踊っている。
「音楽を止めろ! トルパンはお前と結婚しない。耳の大きい男は嫌いだそうだ。」
突然のオンダスの言葉に愕然とするアサとボニー。
言われてみれば確かに、ぐいっと前に張り出したアサの耳はとても立派だけど…
兵役を終えたばかりの都会育ちのアサは、遊牧民生活に憧れて姉夫婦のユルトに居候する身。独立するためには嫁を取らなくてはいけないのだが、もうこの近くには年頃の独身女性はいないみたい。

性懲りもなく二度目の来訪。「ほら、『アメリカ』の皇太子よりは耳が小さいでしょ」
帰り着いたオンダスのユルトでは、オンダスの妻でアサの姉でもあるサマルがチーズを作っている。食事中だというのにいきなり大声で歌いだす娘のマハ。オンダスに「やめろ!」と何度叱られても、どうしても歌う衝動が止められないらしい。そんなマハの兄のベーケはといえば、四六時中ラジオを肌身離さず持っていて、夕食後に父の要求通りに「今日の世界情勢」を暗唱してみせたりもする。そして、動物の叫び声に勝るとも劣らない声をあげながら絶えず自由奔放縦横無尽に駆けずり回っているのは、末っ子のヌーカ。この幼児がなにしろ無敵。もう生きているのが楽しくてどうしようもないっ!といった感じで、いつだってどこだって嬉しそうにはしゃぎまわっている。そんなヌーカを見ていたらなぜか、「少年、機関車に乗る」でいつも隅っこでひとり土を食べていた 'デブちん' の、あの今にも泣き出しそうな顔を思い出してしまった。全然違うタイプなのにな。
砂嵐吹きすさぶ中をオンダスとアサが放牧にでかけていく。砂と羊の毛がごちゃまぜになった画面は、もうなにがなんだかわけがわからなくなっていて、風の轟音と羊とラクダとロバのグェーグェーウゴォウゴォというわめき声がそれに輪をかける。画面の奥へ駆けていく大群の中で器用にも交尾している羊がいるのが見えた気がした。
カオスと化した群れが過ぎ去った後には、ロバはロバでのんきに交尾している遠景のカット。どこで拾ったのか木の枝にまたがった無敵幼児ヌーカが、テッテケテッテケテッテケテーとか言いながら、嬉しそうに交尾中のロバの方に走って行こうとする。それを巧みに呼び止めるサマル。毎日繰り返されているであろう、彼等の一日のはじまり。

馬上のオンダス
むやみに追いかけ回したあげく、アサが妊娠した羊を1頭逃がしてしまう。生まれてくる子羊がみな死んでしまうことに頭を痛めているオンダスは、苛ついてこっぴどくアサをどやしつける。砂で真っ白になっているアサの立派な耳。ボニーが自慢のトラクターで運んできた給水タンクの水を、へろへろになりながら浴びているアサの姿に思わず爆笑する場内。もうみんなすっかりアサたちの虜なんだ。
一方「家の中で歌うな」と父に叱られたマハは、今日はユルトの外に座って膝を抱えながら大声で歌い続けている。空を引き裂かんばかりに世界に響き渡るその声は、まるで「動くな、死ね、甦れ!」のカネフスキーの歌声のように心にぐさぐさと突き刺さってくる。
「一人前になるために嫁をもらいたい青年を中心に、厳しい自然の中で暮らす家族の姿をほのかなユーモアで包みながら描いていく作品。ひたすら広大な大地の姿に圧倒される!」
これは第21回東京国際映画祭の公式ページでのこの映画の紹介文なのだが、ひとつ間違っていることがある。それは、決して「ひたすら広大な大地の姿に圧倒される」わけではないということだ。
確かに、360度見渡す限りひたすらに砂の地平線が続くこの土地ならではの、夜空に急に光り出すおびただしい稲妻や、突然に巻きあがる竜巻などを、カメラはしっかりとらえている。けれど「広大な大地」そのものに感じ入りたいのならば、ハイビジョンカメラで撮影された大自然ドキュメンタリーなどを見た方がいい。それらの精緻なドキュメンタリーが、長い年月をかけて大自然の雄大な風景や生命の神秘的な美しさをとらえることを目的にしているのに対して、「トルパン」がとらえようとしているものは、もっとずっと狭い世界にぐちゃぐちゃになって犇めきあっている、ラクダや羊やロバや馬や人や犬や猫や亀の命どもの喧しさ、とでもいったものなのだから。

引っ越しのためにユルトを解体するオンダス一家
映画の終盤、汚くて臭すぎる命と真正面から向かい合った後、へとへとになって大の字に寝転がったアサの横から聞こえてくる、あの優しくて柔らかな声。
カメラは声の主ではなく、空を仰ぎ見ているアサの横顔をじっと映し続けている。
その何とも言えぬ至福の瞬間。
我々が真に圧倒されるのは、広大な大地でもカザフの異文化でもなくて、こんな瞬間なのであり、それはまさに映画そのものの力なのである。
上映終了後、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督とアサ役のアスハット・クチンチレコフ、姉のサマル役のサマル・エスリャーモヴァが登壇してティーチ・インが始まった。
監督はともかくとして、つい今さっきまでカザフの砂嵐にまみれて遊牧生活をしていたはずのアサとサマルが小きれいな服を着て普通に登場したときに、軽いめまいを感じてしまったのは僕だけではないだろう。
監督はなんというかとてもニヒルな印象。時折にやりとはするものの、ほぼポーカーフェイス。そのくせ一旦話しだせば、日本語と英語の通訳をおいてけぼりにして止まらない。観客からの質問に答える形で、ステップで遊牧民と共に生活をしながら完成までに4年間かけたこと、動物をキャストやカメラに慣れさせるための膨大な時間のことなど、これまでに短編ドキュメンタリーを撮ってきたという監督ならではのエピソードが聞けた。
左からセルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督、通訳さん、サマル役のサマル・エスリャーモヴァ、アサ役のアスハット・クチンチレコフ
無敵幼児ヌーカについては、「彼のおかげでとても空気がなごんだが、まるで小さなライオンのように現場をかき回してくれたのも事実。無論なにも指示などせず、彼の好きなように動いてもらったので、撮影がいったいどこに向かっていくのかわからなくなることもしばしばだった」とのこと。やっぱり無敵幼児は見たまんまに無敵だったんだね。
マハが歌っていた唄について質問したいなあと思っていたら、別の人が「劇中何度も流れていた歌はなにか?」と質問した。「同じ歌というが、いろんな歌があったはずだ。マハが歌っていたのはマハ自身が慣れ親しんでいる歌だし、サマルの歌は子供の頃に彼女のおばあさんから習った歌だ」と監督が答えると、そうではなくてトラクターでかかっていた曲のことだったらしい。「あの曲にはなんか意味があるのか?」と。「ああ、あの曲はボニーMのヒット曲だよ。知らない?ロシアじゃ有名なんだけどな。なんであの曲かと言えば、僕が好きだったから。監督にはそういう権限があるんだよ」と、にやりとする監督。なんにせよ、彼自身が好きな曲や演者(といってもサマル以外は素人らしいけど)自身に染みついている唄たちが、より一層この映画を喧しくしたことに間違いはないようである。
びっくりしたのはアサの立派な耳が実はメイクアップによるものだった、という話!
言われてみれば目の前にいるアサ役のクチンチレコフの耳はごくごく普通。毎朝五時から耳にばねを仕込んだメイクアップをしていたんだそうな。トルパンに嫌われるためにそんな苦労をしていたなんて。監督の印象を聞かれたクチンチレコフは「天才と暴君が同居しているかんじ」と、笑いながら語っていた。
ティーチ・インの最後のドヴォルツェヴォイ監督の結びの一言。
「遊牧民と過酷な生活を共にしながら4年間撮影していた我々は、端から見たら気違いにみえるかもしれません。ですが我々は本当にカザフスタンを心から愛しているのです」
その通り、この映画はどこを切っても本当に気違いのような愛に満ち満ちている!
最後に。
この文章を書きながらネットでいろいろ調べていたら、タイトルの「TULPAN」はカザフ語でチューリップを意味するそうだ。映画を見終わった後でそのことを知った僕は大いに合点がいったんだけど、もしこれから先にこの映画を見る機会に恵まれた人は、あらかじめこのことを知っておくのもよいかもしれないです。
関連する外部リンク
・
東京国際映画祭公式ページ - トルパン
・
CINEMA TOPICS ONLINE|『トルパン』来日記者会見
・
Sergei Dvortsevoy: Tulpan(英語サイト:監督インタビュー動画)
・
セガール気分で逢いましょう 『トルパン』
・
セガール気分で逢いましょう:『トルパン』インタビュー全文
<追記>
10月26日に行われた東京国際映画祭クロージング・セレモニーにて
『トルパン』が最優秀監督賞と東京サクラグランプリをダブル受賞しました。
・
東京国際映画祭のクロージング・セレモニーのオンデマンド配信ページ
(ページの下の方に部門別の動画があります)
ドヴォルツェヴォイ監督の興奮が伝わってきて、胸が熱くなりました。
おめでとうございます!
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セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督
2008年 ドイツ・スイス・カザフスタン・ロシア・ポーランド
第21回東京国際映画祭コンペティション出品作品
さて困った。なにから書けばよいものやら。。
なんだかもんのすごいものを見てしまったんだけど。
一期一会とはまさにこのことかも。
まず、暗闇の中にゆっくりとタイトルが浮かび上がる。メインスタッフの名前が続くなか、どかどかと大地を走り抜けていく四つ足動物の足音が聞こえてくる。
「おお。やっぱり中央アジアは馬なんだな。『ルナ・パパ』の冒頭の馬も見事だったよなあ」などと思いながら見ていると、明るくなった画面に映し出されたのはなんとラクダ! 聞いたこともないような素っ頓狂なオタケビをあげて駆け抜けていくラクダどもに、あっという間に魂を抜かれてしまう。
砂嵐吹き荒れるカザフスタンのステップこそが、この映画の舞台。
ラクダが行き過ぎて砂ぼこりがおさまると、おんぼろトラクターが横付けされたユルト(カザフのパオ)が見えてくる。その中では、砂しかないステップにはなんとも不釣り合いな水兵の格好をしたヤサ男が、得意げに巨大タコと格闘した話を老夫婦に聞かせている。ヤサ男の名前はアサ。彼はこのユルトに住む娘、トルパンを嫁に取りにやってきたらしいのだが、結局トルパンは最後まで顔を出そうとはしない。布の壁の隙間からアサの様子を窺う目のカット。にやにや笑いながらその壁の方を見ているのは、トラクターの運転手でアサの友人のボニー。いつまでも終わらないへらへらしたアサの自慢話を「もういい。やめろ。」と苦々しく遮るのは、アサの義兄オンダス。
帰り道を疾走していくトラクターは、ボニーMの"Rivers of Babylon"(→
YouTubeリンク)を大爆音で鳴らしている。なにしろまわりにはなーんにもないのだ。字幕では「草原」となっていたけれど、草もロクに生えていない見渡す限りほぼ砂の大地。町などない。道すらない。木もない。でも、砂漠ではない。そんな土地の物語。
水兵服のアサは浮かれて結婚式の話なんかをしながら、音楽に合わせて腕をくねらせタコみたいに踊っている。
「音楽を止めろ! トルパンはお前と結婚しない。耳の大きい男は嫌いだそうだ。」
突然のオンダスの言葉に愕然とするアサとボニー。
言われてみれば確かに、ぐいっと前に張り出したアサの耳はとても立派だけど…
兵役を終えたばかりの都会育ちのアサは、遊牧民生活に憧れて姉夫婦のユルトに居候する身。独立するためには嫁を取らなくてはいけないのだが、もうこの近くには年頃の独身女性はいないみたい。

性懲りもなく二度目の来訪。「ほら、『アメリカ』の皇太子よりは耳が小さいでしょ」
帰り着いたオンダスのユルトでは、オンダスの妻でアサの姉でもあるサマルがチーズを作っている。食事中だというのにいきなり大声で歌いだす娘のマハ。オンダスに「やめろ!」と何度叱られても、どうしても歌う衝動が止められないらしい。そんなマハの兄のベーケはといえば、四六時中ラジオを肌身離さず持っていて、夕食後に父の要求通りに「今日の世界情勢」を暗唱してみせたりもする。そして、動物の叫び声に勝るとも劣らない声をあげながら絶えず自由奔放縦横無尽に駆けずり回っているのは、末っ子のヌーカ。この幼児がなにしろ無敵。もう生きているのが楽しくてどうしようもないっ!といった感じで、いつだってどこだって嬉しそうにはしゃぎまわっている。そんなヌーカを見ていたらなぜか、「少年、機関車に乗る」でいつも隅っこでひとり土を食べていた 'デブちん' の、あの今にも泣き出しそうな顔を思い出してしまった。全然違うタイプなのにな。
砂嵐吹きすさぶ中をオンダスとアサが放牧にでかけていく。砂と羊の毛がごちゃまぜになった画面は、もうなにがなんだかわけがわからなくなっていて、風の轟音と羊とラクダとロバのグェーグェーウゴォウゴォというわめき声がそれに輪をかける。画面の奥へ駆けていく大群の中で器用にも交尾している羊がいるのが見えた気がした。
カオスと化した群れが過ぎ去った後には、ロバはロバでのんきに交尾している遠景のカット。どこで拾ったのか木の枝にまたがった無敵幼児ヌーカが、テッテケテッテケテッテケテーとか言いながら、嬉しそうに交尾中のロバの方に走って行こうとする。それを巧みに呼び止めるサマル。毎日繰り返されているであろう、彼等の一日のはじまり。

馬上のオンダス
むやみに追いかけ回したあげく、アサが妊娠した羊を1頭逃がしてしまう。生まれてくる子羊がみな死んでしまうことに頭を痛めているオンダスは、苛ついてこっぴどくアサをどやしつける。砂で真っ白になっているアサの立派な耳。ボニーが自慢のトラクターで運んできた給水タンクの水を、へろへろになりながら浴びているアサの姿に思わず爆笑する場内。もうみんなすっかりアサたちの虜なんだ。
一方「家の中で歌うな」と父に叱られたマハは、今日はユルトの外に座って膝を抱えながら大声で歌い続けている。空を引き裂かんばかりに世界に響き渡るその声は、まるで「動くな、死ね、甦れ!」のカネフスキーの歌声のように心にぐさぐさと突き刺さってくる。
「一人前になるために嫁をもらいたい青年を中心に、厳しい自然の中で暮らす家族の姿をほのかなユーモアで包みながら描いていく作品。ひたすら広大な大地の姿に圧倒される!」
これは第21回東京国際映画祭の公式ページでのこの映画の紹介文なのだが、ひとつ間違っていることがある。それは、決して「ひたすら広大な大地の姿に圧倒される」わけではないということだ。
確かに、360度見渡す限りひたすらに砂の地平線が続くこの土地ならではの、夜空に急に光り出すおびただしい稲妻や、突然に巻きあがる竜巻などを、カメラはしっかりとらえている。けれど「広大な大地」そのものに感じ入りたいのならば、ハイビジョンカメラで撮影された大自然ドキュメンタリーなどを見た方がいい。それらの精緻なドキュメンタリーが、長い年月をかけて大自然の雄大な風景や生命の神秘的な美しさをとらえることを目的にしているのに対して、「トルパン」がとらえようとしているものは、もっとずっと狭い世界にぐちゃぐちゃになって犇めきあっている、ラクダや羊やロバや馬や人や犬や猫や亀の命どもの喧しさ、とでもいったものなのだから。

引っ越しのためにユルトを解体するオンダス一家
映画の終盤、汚くて臭すぎる命と真正面から向かい合った後、へとへとになって大の字に寝転がったアサの横から聞こえてくる、あの優しくて柔らかな声。
カメラは声の主ではなく、空を仰ぎ見ているアサの横顔をじっと映し続けている。
その何とも言えぬ至福の瞬間。
我々が真に圧倒されるのは、広大な大地でもカザフの異文化でもなくて、こんな瞬間なのであり、それはまさに映画そのものの力なのである。
上映終了後、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督とアサ役のアスハット・クチンチレコフ、姉のサマル役のサマル・エスリャーモヴァが登壇してティーチ・インが始まった。
監督はともかくとして、つい今さっきまでカザフの砂嵐にまみれて遊牧生活をしていたはずのアサとサマルが小きれいな服を着て普通に登場したときに、軽いめまいを感じてしまったのは僕だけではないだろう。
監督はなんというかとてもニヒルな印象。時折にやりとはするものの、ほぼポーカーフェイス。そのくせ一旦話しだせば、日本語と英語の通訳をおいてけぼりにして止まらない。観客からの質問に答える形で、ステップで遊牧民と共に生活をしながら完成までに4年間かけたこと、動物をキャストやカメラに慣れさせるための膨大な時間のことなど、これまでに短編ドキュメンタリーを撮ってきたという監督ならではのエピソードが聞けた。
左からセルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督、通訳さん、サマル役のサマル・エスリャーモヴァ、アサ役のアスハット・クチンチレコフ
無敵幼児ヌーカについては、「彼のおかげでとても空気がなごんだが、まるで小さなライオンのように現場をかき回してくれたのも事実。無論なにも指示などせず、彼の好きなように動いてもらったので、撮影がいったいどこに向かっていくのかわからなくなることもしばしばだった」とのこと。やっぱり無敵幼児は見たまんまに無敵だったんだね。
マハが歌っていた唄について質問したいなあと思っていたら、別の人が「劇中何度も流れていた歌はなにか?」と質問した。「同じ歌というが、いろんな歌があったはずだ。マハが歌っていたのはマハ自身が慣れ親しんでいる歌だし、サマルの歌は子供の頃に彼女のおばあさんから習った歌だ」と監督が答えると、そうではなくてトラクターでかかっていた曲のことだったらしい。「あの曲にはなんか意味があるのか?」と。「ああ、あの曲はボニーMのヒット曲だよ。知らない?ロシアじゃ有名なんだけどな。なんであの曲かと言えば、僕が好きだったから。監督にはそういう権限があるんだよ」と、にやりとする監督。なんにせよ、彼自身が好きな曲や演者(といってもサマル以外は素人らしいけど)自身に染みついている唄たちが、より一層この映画を喧しくしたことに間違いはないようである。
びっくりしたのはアサの立派な耳が実はメイクアップによるものだった、という話!
言われてみれば目の前にいるアサ役のクチンチレコフの耳はごくごく普通。毎朝五時から耳にばねを仕込んだメイクアップをしていたんだそうな。トルパンに嫌われるためにそんな苦労をしていたなんて。監督の印象を聞かれたクチンチレコフは「天才と暴君が同居しているかんじ」と、笑いながら語っていた。
ティーチ・インの最後のドヴォルツェヴォイ監督の結びの一言。
「遊牧民と過酷な生活を共にしながら4年間撮影していた我々は、端から見たら気違いにみえるかもしれません。ですが我々は本当にカザフスタンを心から愛しているのです」
その通り、この映画はどこを切っても本当に気違いのような愛に満ち満ちている!
最後に。
この文章を書きながらネットでいろいろ調べていたら、タイトルの「TULPAN」はカザフ語でチューリップを意味するそうだ。映画を見終わった後でそのことを知った僕は大いに合点がいったんだけど、もしこれから先にこの映画を見る機会に恵まれた人は、あらかじめこのことを知っておくのもよいかもしれないです。
関連する外部リンク
・
東京国際映画祭公式ページ - トルパン
・
CINEMA TOPICS ONLINE|『トルパン』来日記者会見
・
Sergei Dvortsevoy: Tulpan(英語サイト:監督インタビュー動画)
・
セガール気分で逢いましょう 『トルパン』
・
セガール気分で逢いましょう:『トルパン』インタビュー全文
<追記>
10月26日に行われた東京国際映画祭クロージング・セレモニーにて
『トルパン』が最優秀監督賞と東京サクラグランプリをダブル受賞しました。
・
東京国際映画祭のクロージング・セレモニーのオンデマンド配信ページ
(ページの下の方に部門別の動画があります)
ドヴォルツェヴォイ監督の興奮が伝わってきて、胸が熱くなりました。
おめでとうございます!
トルパン
トルパンTULPAN 〜TIFFにて
「トルパン」
「生きていく日々」 「トルパン」@TIFF
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