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「普通」について

今日は、旧友の奥さんが出品している小品展を見に、久しぶりに京橋のギャラリーまで足を運び、 そのまま友人夫婦と銀座のカメラ店をぶらぶら見てまわってから、日比谷方面にあるゆっくりくつろげる古いお気に入りの店で、水入らずで食事をした。
たとえばこんな一文がなにを伝えるのか。あるいは、どう伝わってしまうのか。

自分にとっては学生の頃から変わらないごく普通の日常が、美術に関係がない人から見れば、例えば「優雅な趣味」と映ったりするのかもしれなくて、 別世界のこととして捉えられるかもしれないんだなぁ、と帰りの電車の中でふと思ったりした。
ひとつひとつの単語自体が持つ、あるいは単語の組み合わせから喚起される「イメージ」は、時として虚像を人に見せるからこそ、コピーライターなどという職業は成立するのだろうが、 ならば、内輪ではない、大前提の違う他人に、その「実」を伝えることはとても困難なことなのだろうか。
逆に身内からすれば、きっとこんな話は、穿った見方をした青臭い記号論の焼き直しだと思われるのかもしれないけど、まあ、なんかちょっと気になったんだよね(笑)
なにはともあれ、「閉じた内輪受け」「当然他人にも通じると思い込んで疑いもしない自分の普通」、ここ何年かそんなことばかりずっと気になってるんだけど、 今日はひさしぶりに旧友と食事をして、昔は当然だと思っていた、一方的ではないごく「普通」の交流というものが、実はすごく貴重なものなんだなーと、改めて気づかされた一日だった。


家に帰り着いてテレビをつけたら、ロシアのアニメーション作家ユーリ・ノルシュテインの番組をやっていて、 かなーり面白かったので、そのままずっと最後まで見入ってしまった。
ノルシュテイン本人が来日して、日本の若い作家の作品を講評(これが面白くてね)して、賞を与えるコンペティション「ノルシュテイン大賞」の模様や、 20年来の友人だという日本のアニメ作家高畑勲との対談、また、24年間ずっと製作していていまだに半分しか完成していないというゴーゴリ原作の最新作「外套」の話や、 その完成部分の映像など、後半からしか見れなかったけどすごく盛りだくさんな内容だった。

高畑勲との対談の中で、「最近『自分には関係ない』という無関心が、人々(特に若い人)の間に広がっていることに危機感を覚えている」という話をしていて、 まあ、これも言葉のイメージだけ見れば使い古された紋切型かもしれないけど、その後に 「そのせいで人との関係だけではなく、自然とのコミュニケーションを取れないまま閉じこもってしまう人が増えている」 「人の話に黙って耳を傾けることは簡単だが、なにも見てはいない」などと続く時、期せずして「これって・・・前見たクリント・イーストウッドのインタビューと同じじゃん」と気がついた。
高畑勲もまた、「『泣くため』に映画を見に行くという快楽主義の蔓延と、そのためにかなりの嘘をつくことが普通になったハリウッド映画」のことや、 「急にそれまでの時間軸が分断されて、コマーシャルという何の関係もない映像がはさまれるテレビに、なんの違和感も感じない現代人」などについて話していて、 他にも「現代社会におしつぶされてすっかり機能することができなくなっている芸術と、現代における芸術家のあり方」などなどなど、短い対談だけでもテンコモリのこの番組は、 今ネットで調べたら、なんと前半には「ノルシュテインが尊敬する葛飾北斎ゆかりの地である小布施を訪ねる」という内容もあったらしく、ほんと~~に再放送が待たれるのでありました!


関連外部リンク:「ユーリ・ノルシュテインの仕事
← クリント・イーストウッドのインタビュー番組 てすとー →
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